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実写ドラマにもなった、左ききのエレンで描かれる才能というもの【かっぴー/nifuni】

凡人の日常

君たちも人生で一度は思ったことがあるはずだ。

“才能があったらな”って。そう、僕も思った。それはもう、嫌ってほど思った。それでも、凡人である僕たちは大した才能なんてない。でも、何者かになりたい。どうしても拭えない感情を未だに抱き続けてる。そんな人が多い筈だ。

まぁ、それでも大概の人は大学生〜社会人数年で自分をうまく納得させていく。“自分は才能がないから一般人として幸せになろう”的な感じで、どんどん自分を上手く殺していく。そうしなければ、変人とか社会不適合者とか言われてしまうから。

けれど、仕事帰りにコンビニ寄って、ビールとつまみ買って、1人晩酌しつつテレビを観ていると目に入るんだ、自分と同い年の輝いてるやつが。それはもう飛びっきり輝いて見えるんだ。そんなときに、ふと何者でもない自分が再び蘇る。

トラップカード発動!リビングデットの呼び声!(トラップカードで基本いつでも利用可能だし絵柄的にもあってる)ってな感じで復活を遂げる。んで、また殺す。

僕は自分を殺す才能までないらしい。未だに毎日感じている。なんなら、ピンピンしている。けど、僕はナルシストなのでそんな自分のことが好きだ。あぁ、本当に社会不適合者だとおもう。

いや、結局何が言いたいねんって思ったそこのあなた、このサイトは運営の僕と弟が自分の好きなものを人に知ってもらいたいサイトだから!ただの前置きが愚痴っぽくなっちゃっただけだから!

と言うことで、

『左ききのエレン』

原作:かっぴー、作画nifuni

とりあえず、読んだ事ない人のために簡単なあらすじ。

朝倉光一という男がいました。学生時代、それはもう根拠のない自信に満ち溢れた青年でした。そんな光一は超絶爆絶降臨モンスター(天才)の山岸エレンに出会います。そのことで、光一は自分が天才でないことに自覚し始めました。その後大学を卒業し念願のデザイナーになり、忙しい社会人の荒波に揉まれていました。しかし、学生時代に思い描いていた想像の自分を殺しきれません。近くには天才的な上司、天才的な大学時代の友人姉妹、そして、世界が認める天才エレン。もがき苦しみながら、しかし止まらず、がむしゃらに創作していく凡人・光一の話。

とまあ、あらすじはこんな感じなわけだ。んで、1話目上から読めるんでぜひ読んでみて。

僕ら凡人は主人公の光一だ。光一よりも自分を殺すのが得意な人が多いと思うが、凡人なことに変わりはない。自分の追い求めるものに天から与えられた才能なんてなく、ある程度の努力をして”やっぱり無理だ”って心の奥底に沈める。それが出来るから、社会で働けるわけであって、できなきゃ僕ら凡人は生きていけない。

何にせよ、こんな天才ばかりに囲まれることはあまりないだろうが、才能を羨み、自分の凡人さを自覚し、毎朝満員電車に揺られながら会社に向かう人たちは多少なりとも共感できるはずだ。

というか、今読んでる人の中でこんなこと感じたことがない人は、即ブラウザバックしてくれ。げっとあうとってやつだ。とっとと自分の住処へ帰ってくれ。いや、やっぱりそんな人も帰らないでくれ笑

そんで面白そうならこのマンガ買ってくれ。

話がずれた。

『左ききのエレン』 は2016年3月から2017年9月まで『cakes』というデジタルコンテンツ配信サイトでかっぴーさんが一人で連載していた。それを集英社のジャンプ+にてリメイク版として作画をnifuniさんが担当し2017年10月より連載している。現在も”原作版”は読む事ができる。ちなみに原作者のかっぴーさんに「”原作版”と”リメイク版”どちらを読めばいいですかー」という質問時々あるらしく、ご本人のnoteにて【左ききのエレン】“原作版”と“リメイク版”どっち読むべきか問題。の中でこう書かれている。

正直どちらでも読んで頂けるのであれば最高に嬉しいです。「建前ではそうでも、本音では原作版じゃないの?」と思われるかも知れませんが、マジでどっちか片方しか読まんぞ!さぁ、どっち!?と聞かれたら、ぼくは“リメイク版”を読んで欲しいです。

“原作版”と“リメイク版”の違いは、作画が違うのは明らかですが、内容も異なります。異なると言っても、別の物語というよりかは“リメイク版”の方にエピソードが追加されている感じです。変な話ですが、後から生まれた“リメイク版”の方が、ノーカット版というイメージです。ぼくの作画では表現しきれず、カットしたエピソードを入れ込んだ完全版が“リメイク版”だと考えています。あと、作画はもちろんですが、ぼくのネームも今の方が上手いはずです。

https://note.mu/nora_ito/n/nc726500580bd

という事なので、迷った時は”リメイク版”をご購入ください。

かっぴーさんとnifuniさんのプロフィールはお二人のサイトのリンクを載せておくんで気になった人はぜひ確認してみてください。かっぴーさんの記事やnifuniさんの素敵な絵を見る事ができます。

天才とは1%のひらめきがある人のことを言う

このマンガのキャッチコピー”天才になれなかった全ての人へ——…”という通り、この世の多くの人に刺さります。なんていったって、この世の中、天才よりも圧倒的に僕らのほうが多いから笑

内容的には一番刺さる人って新卒〜数年目の社会人だと思うんだけど、それ以外の人たちにも十分刺さる。中高生や大学生は学生時代の光一に共感できる。30代を超えた人たちは、会社に入ってからの上司の気持ちを感じたり、昔を思い出すかもしれない。それだけじゃなくて、もう一回やってみるかって何かを始めるかもしれない。とにかく、登場するキャラクターたちのがむしゃらさに酔いしれて欲しい。

結局は……

最後になるけど、輝いてたり、活躍してる人たちを天才って一言で表すのは失礼なことだと思ってる。裏では人に見せられない苦悩や練習や日々の積み重ねのを当たり前にやってる。(そんなところもこのマンガでは書かれてる)だからこそ活躍できるわけだしね。何者でもない僕ら以上の努力をしてるわけです。だけど、僕ら凡人が”天才”とか”才能がある”って言葉をすぐ使うのは、努力してない自分を下げたくないから。自分の行いを省みたくないから。自分よりすごい人に対してこういう言葉や感情を用いれば安心できるから。所詮自分に対する言い訳なんだ、才能っていうやつは。かの有名な哲学者・ニーチェさんも言ってるんだからそういうことだ。

努力ってしてるだけで素晴らしいものなのか?絶対に努力しなくちゃいけないのか?そんなことはないだろ。努力というのは過程であって、結果を出すことが大事だと思う。少ない努力で成果を出せるならそっちの方がいい。お金だって楽に稼ぐべきだしね。そんで、余った時間を自分のやりたいことに使うほうがよっぽどいい人生送れる。楽して稼いだ金がダメとか、努力してないのに成功したらだめなんていう人の言うことは信用できない。あと若いうちは苦労を買ってでもしろなんていうけどそれもクソだと思う。自分がしてきたことを相手にも求めるなよ。努力だって、苦労だってそういう状況になった時だけでいい。結局、自分ができないことを、スラスラやっている人たちを僻んでるだけ。あぁ、悲しい人生だ。

結論、苦労を買うくらいなら、『左ききのエレン』を買いましょう。ワンコインでおつり返ってくるお値段で、ランチ一回カップ麺にでもすれば買えちゃうから。

かっぴーさん note cakes

nifuniさん officialサイト

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